草津宿のお寺のお堂建替えプロジェクト 

建築設計に携わっていると、プロジェクトごとに、その地域や機能について知識を深めることができます。

滋賀県・草津市の浄土真宗 浄教寺お堂建替え計画もその一つです。滋賀出身で、高校の時には毎日草津を通って通学していましたが、その歴史について深く学んだことはありませんでしたし、草津宿があったことすら知りませんでした。また、実家が何宗かも意識したことはありませんでした。

仏教については、「仏像とお寺の解剖図鑑(エクスナレッジ)」や仏教の本を読み、住職に浄土真宗の教えを聞き、御恩講に参り、講話を聞くことで、仏教の成り立ちや変遷、派生、宗派の考えの違い、仏像、お寺の形式などを浅くではありますが、学び、感じることができました。普段生活していると、接することがない知識に触れることができることはとてもありがたく、楽しいです。

仏教については、奥が深く恐れ多いため、草津について書いてみようと思います。

草津宿は、近世、東海道五十三次のうち52番目の宿駅で、五街道のなかでも重要な街道と位置づけられた東海道と中山道の合流・分岐点に当たり近世交通の要衝でした。本陣に加え、脇本陣2軒、旅籠72軒が軒を連ね、他にも茶屋など旅人相手の商家、米や瀬戸物をはじめとした日用品の店、物流の拠点となった問屋などが並び、人と物の行き交うにぎやかなまちであったようです。写真は、草津宿甲街道記念館のジオラマ模型です。右の写真は、既存のお寺と向きが違うため、再建前の姿であると考えられます。

草津宿周辺には古くから多くの寺院が集まり、信仰の担い手であると同時に、地域住民の生活に深く根ざした存在でした。寺院が身近な生活の節目(冠婚葬祭や季節行事)に関わることで、住民は自然に寺院への帰属意識や倫理観を育んでいきました。既存の浄教寺は、立命館大学の先生に調査いただき、建設年代は、享和(1802)年の大水害をうけて、文化元(1804)年に再建されたものと推測されています。右の写真は、ふすまの下貼りに書かれていた再建時期を示す文字です。

現代の草津市は、京都・大阪のベッドタウンであると同時に、市内に大学や企業が立地する核都市として発達してきました。その結果、人口は昭和40年約3.8万人から令和元年には13.4万人へ増加し、特に20~30代の若年層や、子育て世代の転入が多数を占めています。また宅地開発が進み、街並みが変化しつつあります。分譲マンション供給は依然旺盛で市内の分譲マンションは約90棟あり、20年前の約3倍に増加しています。草津宿においても、歴史的な建築とマンションが隣り合う不思議な風景となっています。これらの都市の変化とともに寺に求められる地域の格としての機能は薄まり、門徒も減っていき、高齢化の傾向にあります。

そこで今回のお寺のお堂建替え計画では、門徒の方だけでなく、広く皆が集える、皆が思い思いに手を合わせることができる開かれたお寺を目指しました。現在の住職の先代も戦後にお寺の周りの借家に困っている方を住まわせてあげるなど、もともと開かれたお寺であったようです。先日、仏式の起工式が行われ、いよいよ着工です!